遺伝情報の回付

コホート調査参加者への遺伝情報回付について

岩手医科大学と東北大学が行う東北メディカル・メガバンク計画のコホート調査では、参加者の方々からご提供いただいた血液からDNAを抽出し、その配列を解読する遺伝情報解析を行っています。この遺伝情報解析の結果は、研究だけでなく、参加者それぞれの健康に役立つことがあります。

しかし、遺伝情報解析結果を個別にお伝えすること(回付といいます)は、日本では例がなく、海外を含めても数少ない事業です。

そこでまず、少人数の方々を対象に、状況を丁寧に確認しながら試験的な回付(パイロット研究)を開始したいと考えました。

パイロット研究そのものは、家族性高コレステロール血症を対象疾患として、2016年11月中に開始します。

本ページでは、コホート調査の参加者への個人の遺伝情報解析の結果回付について、検討の経緯や計画の概要についてお知らせします。

 

1 遺伝情報の回付についての検討の経緯(1)

1-1 三省によるゲノム指針の改訂

研究において、ヒトの遺伝情報を扱う上で従うべきルールは多々ありますが、最も重要なものの一つが、「ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針」(以下、ゲノム指針)です。文部科学省、厚生労働省、経済産業省の三省によるもので、平成13年に最初に定められましたが、ちょうど東北メディカル・メガバンク計画が具体的な事業開始に至る直前の平成25年2月に全面改定版の施行がありました。そこでは、遺伝情報の開示について特に一章が設けられ「提供者が自らの遺伝情報の開示を希望している場合には、原則として開示しなければならない」とされた上で、開示しない場合の条件が示されました。東北メディカル・メガバンク計画ではこの規定に基づき、検討しました。

1-2 地域住民のみなさまの健康への貢献と次世代医療の実現

上記の通り、指針上は、遺伝情報の開示は「原則」とされましたが、多くの研究プロジェクトでは、指針に別途書かれている条件をもとに、「開示しない」とすることが通例になってきました。指針に示される条件のうち、「当該研究を行う機関の研究業務の適正な実施に著しい支障を及ぼすおそれがあり、かつ、 開示しないことについて提供者のインフォームド・コンセントを受けている場合には、その全部又は一部を開示しないことができる」という項目に該当するものとしています。

東北メディカル・メガバンク計画では、目的の一つを次世代型医療としての個別化医療・個別化予防の基盤をつくることにおいています。個別化医療・個別化予防は、遺伝情報に基づいて適切に医療・予防を選択することがその主眼の一つであり、その実現にあたっては、一人ひとりが自らの遺伝情報について正しく知ることが欠かせないものです。そうした計画の目標を勘案し、当計画ではコホート調査への参加時のインフォームド・コンセントにおいて、遺伝情報に関する結果を個々の参加者の方々にお伝えすることについて、完全に否定せず、準備が完了したらお伝えすることがあるとする、という選択をしました。

また、本計画は、東日本大震災後の復興プロジェクトであり、被災者を含む方々がコホート調査の参加者に必然的に含まれることから、可能な限り多くの成果を直接的に参加者に還元する道を開いておきたいとも考えました。

しかしながら、これまで他の国内外の研究プロジェクトで遺伝情報の参加者への開示を行ってこなかったこともあり、開示の実現には幾多の困難と課題があることが予想されました。そこで、東北メディカル・メガバンク計画では、日本全国の有識者にお諮りした上で、インフォームド・コンセントにおいて、遺伝情報解析に基づく結果を調査への参加者にお返しできる条件を厳密に定めました。また、ゲノム情報の膨大で解釈の難しい配列情報を全てそのままお渡しすることは現実的ではないと考え、それをイメージさせる開示という言葉ではなく、回付という言葉を用いています。

 

2 遺伝情報の回付についての検討の経緯(2)

東北メディカル・メガバンク計画におけるインフォームド・コンセントでは、遺伝情報の回付について以下のように記載しています。

―引用(10.検査結果及び解析研究から得られた成果について)―

本研究では、みなさまの遺伝情報について、解析研究を行うことも予定しています。本研究に参加された方が希望される場合には、岩手医科大学および東北大学が共同で設置する「遺伝情報等回付検討委員会」の審査を経たうえで、遺伝情報の回付を行うこともあります。しかし、遺伝情報は、その人の健康状態を評価するための情報としての精度や確実性が十分でない場合があり、また、その情報を回付することによって、みなさまや血縁者に精神的負担を与えたり、誤解を招く可能性があります。特に三世代コホートでは、予期せぬ親子関係が明らかになるケースなども想定されます。 したがって、回付の決定にあたっては、下記の4項目を十分に配慮することとし、回付をしない場合もあります。

  1. その情報がみなさまの健康状態を評価するための情報としての精度と確実性を有していること
  2. その情報がみなさまの健康にとって重要な事実を示すものであること
  3. その情報を回付することで、研究業務の適正な実施に著しい支障を及ぼすおそれがないこと
  4. その情報がみなさまの生命や健康に重大な影響を与えることが判明した場合には、有効な治療方法があること

なお、回付の準備が整いましたら、回付のご希望の有無について、お問い合わせさせていただきます。また、遺伝情報の回付につきましては、ヒトゲノム・遺伝子解析研究を実施している他の研究機関との間で密な情報共有を図ることといたします。

―引用終わり―

ここに挙げた記載は、先に述べたゲノム指針にある記載をほぼそのまま踏襲しており、回付を実際に行うにあたっては、(1)回付する情報の精度と確実性(専門用語では、Analytical Validity 分析的妥当性と表現されます)、(2)健康にとって重要(専門用語では、Clinical Validity 臨床的妥当性と表現されます)、(3)研究に支障をきたさないこと、(4)有効な治療法があること(専門用語では、actionableと表現されます。Clinical Utility 臨床的有用性という概念の中で一歩進んだ要件です)を4つの条件にあげています。

また、引用したインフォームド・コンセントの記載において、「回付の準備が整いましたら、回付のご希望の有無について、お問い合わせさせていただきます」とあるところの「準備」ですが、岩手医科大学と東北大学では、以下の件が大切と考えてきました。

  • 回付可能な情報をさまざまな見地から適切に選定すること
  • その情報を回付することで対象者の方々に不利益が生じないこと
  • その情報が回付されることを対象者の方が望んでいることを確認できること
  • その情報を回付することで、対象者の方がその情報を健康のために活かす手段があり、また、両大学がその紹介などができること

上記の準備のおおよそが整ったと両大学で判断した段階で、まず、少人数の方々を対象に、状況を丁寧に確認しながら試験的な回付を開始したいと考えました。そして、それらの準備を行うために次節で述べる検討体制を構築し、検討してきました。

 

3 検討の体制(遺伝情報等回付検討委員会など)

本遺伝情報回付について、両大学および学外の専門家に審議を依頼するなどして、議論を重ねてきました。

まず、前節で述べた遺伝情報回付に関するインフォームド・コンセントについては、東北メディカル・メガバンク計画について発足当時に当計画の推進委員会(文部科学省に設置)によって検討された「東北メディカル・メガバンク計画全体計画」に基づいて設置された、倫理・法令全国ワーキンググループの議論によって案が作られました。そして、両大学に設置された倫理委員会での審議を経て、当計画のコホート調査において採用されました。

その後、具体的な回付の準備に向けた検討にあたっては、まず、両大学内で、回付のための条件などを整理してきました。それに続き、岩手医科大学と東北大学で、多部門にわたる検討のためのタスクフォース(TF)を組織し、会合を重ねながら、報告書を作成しました。同報告書をもとに、両大学により組織され、主に両大学外の専門家によって構成される遺伝情報等回付検討委員会に議論を依頼しました。

遺伝情報等回付検討委員会は、インフォームド・コンセント内で以下のように言及されています。

―引用(2.事業の推進体制および岩手医科大学・東北大学の役割)―

iv)遺伝情報の返却(回付)の決定は、両大学によって設置される遺伝情報等回付検討委員会の審査を経たうえで、各大学が回付の決定を行うものとします。なお、遺伝情報等回付検討委員会は、両大学関係者以外の第三者も含む組織とします。

―引用終わり―

遺伝情報等回付検討委員会は、岩手医科大学と東北大学が構成する東北メディカル・メガバンク計画推進合同運営協議会のもとに設置され、信州大学教授で日本人類遺伝学会の理事長を2011年から2015年まで務められた福嶋義光委員長以下、10名の委員から成ります。2015年5月に第1回会合を開いて以降、数か月に1度のペースで議論を重ね、2016年3月の第4回会合において遺伝情報回付パイロット研究の計画を承認しました。

 

4 委員会の議論の論点

遺伝情報等回付検討委員会では、両大学によるタスクフォースでまとめられた論点をもとに、議論が行われました。まとめられていた論点は主に、以下の8点からなります。

  1. ゲノムコホート研究においての遺伝情報の回付
  2. 再連結の手順とそのシステムの確立
  3. 同意と再検査の必要性
  4. 回付する遺伝情報の選定
  5. 病的変異の解釈
  6. 遺伝情報の回付の対象範囲
  7. 回付の実際における課題
  8. 研究参加者との遺伝情報回付の連携

特に1については、我が国で未だバイオバンクを基盤としたゲノム研究においての個人に遺伝情報をお伝えする前例がなかったことから、より慎重な議論が必要となる前提として、委員会の共通認識とされました。遺伝情報等回付検討委員会は、単に個別の回付の是非を検討するだけでなく、回付に関してのポリシー、方向性についても所掌事項として議論検討することとされています。

2に挙げられた「再連結の手順とそのシステムの確立」については、しっかりとした情報管理の体制とフローの構築、及びそのための組織体制の整備が求められること、3の「同意と再検査の必要性」においては、説明同意文書において回付の準備が整った段階で参加者に再連絡を定義しており、再同意を得ることが必要として、その方法や手順について検討されました。またその際に、「知らないでいる権利」の担保も重要な論点とされました。

4の「回付する遺伝情報の選定」では、以下9項目が具体的に挙げられて、諸外国の例なども参考に議論が行われました。

  1. 当計画の目的である個別化医療・予防に関連する(目の色などの明らかに健康に関連しない形質は候補ではない)
  2. 回付遺伝子は、現状では、単一遺伝子と薬物応答に関する遺伝子情報(PGx)の両者を平行して検討し、最終的には、リスクや介入方法が確立されていない多因子疾患のリスクの回付を目指す
  3. 臨床的妥当性、臨床的有用性が確立している
  4. 医療として対応法がある
  5. 回付対象数が現実的に対応可能な範囲である
  6. 検証が容易である(再検査が可能)
  7. 決定の段階から回付しようとする疾患の専門家が関与する
  8. 回付後の医療の受け皿、フォローアップがあること
  9. 初めはパイロット研究としてスタートして、検証を行いながら進める

5の「病的変異の解釈」は、高度に専門性の高い慎重な作業を行うにあたっての体制整備などが議論され、6の「遺伝情報回付の対象範囲」については、当計画における解析範囲が必ずしも全参加者を対象としていないために、不公平性等を生じさせない計画の検討が求められました。7の「回付の実際における課題」では、具体的な予算や組織体制、大学病院・地域の医療機関とのコンセンサスと協力などが課題として挙げられ、また8の「研究参加者との遺伝情報回付の連携 」においては、対象者と密な関係を構築していくことの重要性も提起されています。

 

5 委員会の議事録等

遺伝情報等回付検討委員会は、2015年5月から2016年3月までに4回の開催を重ねています。開催日時等は以下の通りです。

第1回 2015年5月29日

 主な議題: 東北メディカル・メガバンク計画における回付の位置付け、及び遺伝情報回付に係る論点整理

第2回 2015年9月28日

 主な議題: 倫理・法令面での検討、引き続き論点整理及びパイロット研究のあり方について

第3回 2015年12月16日

 主な議題: 遺伝情報回付のためのパイロット研究の素案について

第4回 2016年3月30日

 主な議題: 遺伝情報回付のためのパイロット研究計画について

第5回 2016年10月5日

 主な議題: 東北メディカル・メガバンク計画の第2段階の概要と遺伝情報回付に関して、及び遺伝情報回付に関してのパイロット研究について

それぞれの開催の議事要録について、委員確認を経たものは以下に公開します。

また、パイロット研究の計画は、第4回の遺伝情報等回付検討委員会で承認された後、岩手医科大学及び東北大学の倫理委員会で審議されています。

 

6 パイロット研究の計画

2016年に開始するパイロット研究では、議論を経て、対象疾患を家族性高コレステロール血症としました。上述「4 委員会の議論の論点」にある通り、健康に重要であると共に、その遺伝子変異について病気の発症との関係が既に示されており、また、治療法があることが主な理由です。

今回のパイロット研究においては、既に臨床的な症状を有する方を、一次対象者とすることとしました。つまり、コホート調査における血液検査等でコレステロール値が高いか、あるいは、治療歴があることをアンケート調査で自己申告された方が一次対象となる必須条件の一つとなります。一次対象者選定時点で、ゲノム解析情報の結果は参照されず、その後、インフォームド・コンセントを得た方に再検査を行い、対象とする変異の有無を問わずに、結果を対象者に回付するプロトコルとしました。

詳細な研究計画については、別途公開します。

本パイロット研究は、2016年中に着手され、遺伝情報回付後の最後(回付前含めて4回目)のアンケート調査まで、1年以上続く長期にわたる研究となります。また、当計画においては、このパイロット研究を第一次とし、今後、現に症状を呈していない方への回付や、健康上有用ながら疾患そのものではない薬物応答に関する遺伝情報(PGx)の回付などを第二次に検討し、最終的には多因子疾患のリスクの回付を目指します。

 

7 関連研究と参考資料

東北メディカル・メガバンク計画では、コホート調査の参加者の方々がご自身の遺伝情報について、お知りになりたいか、また、その際にどのような方法でお知りになりたいか、などについて調査研究を行いました。調査研究では、遺伝情報の特質などについて講義形式でお知らせする「いでん講習会」も行い、講習会受講前後での意識・知識の変化などについても調査しています。講習会は岩手医科大学のメンバーが中心となって行い、結果は学会等で報告されています(山本ほか、日本遺伝カウンセリング学会 2015)。

遺伝情報の回付における対象となる遺伝情報の選定にあたっては、アメリカ臨床遺伝学会(ACMG)により2015年に公表されたガイドライン等を参考にしました。当ガイドラインで挙げられていた56遺伝子24疾患については、我が国において臨床検査対応や保険収載等がどのようになっているかの状況調査を行いました。本調査は東北大学の遺伝情報回付推進室のメンバーが中心になって行い、結果は学術論文として日本遺伝カウンセリング学会学会誌に受理されました。

また、遺伝情報の回付にあたって特に参考にしたのは以下の団体・研究等です。

Standards and guidelines for the interpretation of sequence variants: a joint consensus recommendation of the American College of Medical Genetics and Genomics and the Association for Molecular Pathology

ClinSeq: “The ClinSeq Newsletter Vol.10, summer 2015”, National Human Genome Research Institute website.

Presidential Commission for the Study of Bioethical Issues: “Anticipate and communicate: Ethical management of incidental and secondary findings in the clinical, research and direct-to-consumer contexts, Presidential Commission for the Study of Bioethical Issues website.

Haukkala A, Kujala E, Alha P et al.: The return of unexpected research results in a biobank study and referral to health care for heritable long QT syndrome. Public health genomics, 16:241-50, 2013.

Anderson RL, Murray K, Chong JX et al.: Disclosure of genetic research results to members of a founder population. Journal of genetic counseling, 23:984-91, 2014.

堀内泰江、浄住佳美、松林宏行ら:臨床ゲノム研究における偶発的所見の結果開示,遺伝カウンセリングの取り組みとその課題―静岡がんセンタープロジェクトHOPEの例.日本人類遺伝学会第60回大会,2015.

研究代表者高坂新一:厚生労働科学研究費補助金 厚生労働科学特別研究事業 メディカル・ゲノムセンター等における個人の解析結果等の報告と、公的バイオバンクの試料・情報の配布に関する論点整理と提言 平成25年度 総括・分担研究報告書 ナショナルセンター・バイオバンクネットワークプロジェクトホームページ

Wolf SM, Crock BN, Van Ness B, et al. Managing incidental findings and research results in genomic research involving biobanks and archived data sets. Genet Med. 14(4):361-84, 2012.

Knoppers BM, Deschênes M, Zawati MH et al. Population studies: return of research results and incidental findings Policy Statement. Eur J Hum Genet. 21(3):245-7, 2013.

Jarvik GP, Amendola LM, Berg JS et al. Return of genomic results to research participants: the floor, the ceiling, and the choices in between

Am J Hum Genet.94(6):818-26, 2014.

Knoppers BM, Zawati MH, Sénécal K. Return of genetic testing results in the era of whole-genome sequencing. Nat Rev Genet. 16(9):553-9, 2015.

進捗報告